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【2025/07/10 19:09 】 |
ある鍼灸師の質問2
ある鍼灸師の質問
「経絡を中心にした学校を卒業した川井先生が他の級友と違う独創的な鍼治療を作った経緯を教えてください。」

院長「中1の時、野球選手だった私がボールを側頭部に受け、東大病院で手術したが失明免れず、弱視の左目だけではほかの仕事は無理だと感じ今の鍼灸学校に進んだ。
級友達は中国の素門とか霊枢ほか色んな書物を読み知識満載。
そして知識が入ったのだろう。みんな分かったふり。

私は『そんな甘いものか?』実戦が大事だと感じた私は19歳から早々と開業。
早くから『治さないと生きていけない』という教訓。

それにさいなまれた私は『考える感じる』を級友達より強く持ち、みんなが素晴らしい古典の書物から知識を持つことで実力が出来たと勘違いし臨床に及ぶ。
治らなければ仕方がない。そんな諦めの早さ。

私は『どんな患者さんでも、治さないと!!』
お相撲が好きな私は、相手の前回しに食いついて勝つまで粘り強く戦った。
私は小さい頃から酒屋で、ビジネスというものを仲間より分かって
いたので、人を治す!という独創的な商品作りに励んだ。

仲間より少し懐に余裕があった私は、知識のある連中を数人集めご馳走しお酒を呑ませながら知識を吸収し、その中の1〜2割これは臨床に使えるなというものだけを蓄え、自分の独創的な鍼治療を編み出した。

書物からの知識は重要だけど、1番大切に思ってるのは臨床です。
治らない患者さんほど食いついて食いついて、治るまで勉強する。

その勉強方法は、地方にもいらっしゃる優れた臨床家の門を叩き、その臨床技術をお金を払って買い、そんな積み重ねの中で、究極の治療法を編み出し、今に至っています。満足してはいけまません。食い下がるのです。そして本物の臨床家を訪ねるのです。そしてそこから独創的な治療法を編み出し、どこへ行っても治らない人の為になるということを私は今でもやっております。
あなたも頑張ってみてください」

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【2019/10/16 00:12 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0)
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