超大物の勝新太郎さんとの縁
院長が21歳、勝新太郎さんが37歳の時、院長の元に1本の電話がかかってきました。
座頭市の大ファンだった院長のところに、一度も会った事のなかった勝新太郎さんから
「ハリと相撲の出前を頼む」
と電話がありました。
東京プリンスホテルの一番広い部屋に若い俳優さんが7、8人居る中、勝さんが
「相撲を先にするか?ハリを先にするか?」
と言ったそうです。
その時院長は電話も電話だけど、すごい変わった人だなぁと感じました。
結局ハリをやってから相撲を5番勝負し、院長の1勝4敗。
お勘定の時、院長が交通費含めて3000円ですと言ったら
「いやー、2万円とか言われたらどうしようかと思った」
と言い、どうしたんですか?と尋ねると
「今日、500万円競馬で負けて1万円しかなかったから」
と大物ぶりが垣間見えたそうです。
それからの縁で、勝さんが院長のことを”関取”というニックネームをつけて交流があり、中村玉緒さんもその縁で今もずっといらっしゃっています。
その中ですごく印象に残っている話があるんだ、と院長が言います。
それは石原裕次郎さんが亡くなった時の勝新太郎さんのお別れの挨拶だそうです。
「生きてて死んでいるような人がいるなかで、お前は死んでも生きてる」
その挨拶に院長はすごく感動して、挨拶っていうのはこういう風にするんだなぁと思いました。
その後、中村玉緒さんに尋ねたら
「うちの主人は一睡もしないで裕次郎さんの写真ばっかり眺めて、そのまま葬儀に行きました。」
玉緒さんは内心、大丈夫かしらという思いだったと院長に話しました。
院長は今でも勝さんの挨拶をお手本にして、心からの挨拶ができたらなぁとしみじみ感じているそうです。

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