私の出た東洋鍼灸専門学校の後輩からのコメントに対して。
私は水上先生のことはよく知らないが、生きるためにやったことで、決して生半可な気持ちでやったのではなない。
私は東洋鍼灸専門学校2年生の5月、19歳。
青山墓地交差点に『指圧』という明かりの入った看板を掲げ治療室を開きました。
今は亡き同級生の故中島くんと一緒に開業しました。
1ヶ月、ビラを配ったが中々患者さんは来ません。
2ヶ月、これはお金もないし、じっとしていてはダメだ!若かった2人、デパートで杖と 笛を買い、赤坂を笛を吹いて流しました。
こんなことで最初から患者さんが来るはずがないということは分かっていましたが、こんな恥ずかしいことがやれたのだから何か知恵が浮かぶはずだ!という気持ちでした。
その通り知恵が浮かびました。割引券付き、700円のところ200円割引きというビラが功を奏して電話が鳴り止まず、同級生の3分の1の生徒が応援に駆けつけるという大盛況となりました。
私はその時タクシーで通っていました。
学校の先生もビックリした顔をして、朝それでも遅刻してくる私に向かって『夜中までご苦労さん』本当に優しい学校の先生でした。
今日コメントをみて急にそのことを思い出しました。
今もこうした若い日々の積み重ねが70過ぎた私に役立っています。
考えて感じて行動する、失敗を恐れずやってみる。
これが人生を通じて大事じゃないかな、と感じています。

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