若い鍼灸学校の生徒から
「我々同級生は10代から50代まで居ますが、昔はどうだったんですか?」
『一番年長が83だったなぁ。そのころ、私(院長)は19歳。19歳の時に私は麻布の青山墓地下という交差点のすぐそばに、“指圧”と書いた中に蛍光灯の入った派手な看板を出した。その建物は2階建てのアパートの2階。私は2年で指圧免許を取り、即開業の運びとなり、ずいぶん目立った看板を掲げ、色んな同級生が駆けつけてくれて、同級生の83歳のご老人もお祝いに参加してくれた。
いかに明るい看板を付けたからといって患者さんは来てくれない。毎日ビラ配り。その当時往診の指圧は700円だった。
ただビラを配っても来ないので、家々のポストに200円引きのチラシを撒いたところ電話が鳴りやまなくなり、若い同級生が手伝いに来てくれた。治療が終わると7,8人連れておばあちゃんがやっている小さな割烹料理屋に仲間を連れて私のご馳走で良く行った。
そのおばあちゃんが同級生が「社長!社長!」と言うもんだから、「こんなに若いのにどちらの社長様ですか?」
『このすぐそばの信号の近くで指圧をやっている治療院のオーナーなんですよ。みんな同級生。今日は私の奢りなので、どんどん飲ませて食わせてください』
なんとたくさん売り上げがあったが、毎日大勢連れていくもんだから赤字経営に転落。若い時は楽しいもんだ。
今のコロナの苦悩から比べたら若い時は夢があり、我々が夜中まで働いている時、高校時代の同級生は大学に入り学生運動の真っ盛り。みんなエネルギーがあった。高校時代の同級生が「この国を変えたい!良くする!」というなか、私は自分が食っていくのに精いっぱい。
若者同士でもずいぶん差があったが、意外とみんな一生懸命、青春を精いっぱい生きていた。』
そんなころを懐かしく、若い鍼灸学生の質問に丁寧に答えていた。

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